誰が気にするねん、という話ですが。
私Chicolitable、座右の銘を変更しましたのでお知らせ致します。
どう変えるのか
旧:2014~2024(21~31歳)
Do not go gentle into that good night
訳:穏やかな夜に身を任せるな
参考:
『インターステラー』より|『穏やかな夜に身を任せるな』原文と和訳/当詩が使用された真意を探る|天沢まもる
新:2025~(31歳~)
怒るな働け
参考:
学校法人 嘉悦学園
上記のように新しく座右の銘を怒るな働けに設定しました。
なぜ変えるのか
- 怒りのエネルギーを始めとする感情のチカラは素晴らしい。自分の原動力。
- ただし、怒りのエネルギーをそのまま怒りのエネルギーとして発露するのはちょっと効率悪い。
- よって明示的に怒りのエネルギーを「働」くことに集中させることにします。
20代はずっと、怒っていた。
怒りでないとどうにもできない人と、肯定
個人的に最も好きな映画であるクリストファー・ノーランの「インターステラー」を劇場に見に行ったのは、2014年の暮れ。
その頃の私は21歳、一浪したから大学2年生の頃。それはそれはもういろんな物事に怒り倒していた時期だったと記憶しています。
実家から通える範囲に予備校もないような田舎から出ていって、予備校で寮生活をしたあと、地方都市の大学に進学しました。その頃出会っていたあらゆる人に怒っていました。
勉強にイマイチ本気にならない同級生や、意見の合わないサークルの同僚。今思えば別になんでもないが、理不尽に振る舞って来たバイト先の社員の人。初めてお世話になる警察官。地域の人。実家を出ると態度が変わり、考え方がどんどん古く感じられる両親。当時の言葉で言うならメンヘラ気味の恋人。エトセトラ、エトセトラ。
社会科学系の勉強にのめり込んでいた私は、人が悪い・社会が悪い・世の中が悪い・自分以外すべて間違っている!と言わんばかりにそれっぽい理論を振り回して噛みついていました。これは別に怒りを表すためのロックをやっていたとか、学生運動をしているとかではなく、ただただ日々の交流の中で、敵対して当たりっぱなしでした。
そんな自分のことはもちろん好きではなかったし、嫌いでした。でも何なら周囲の人や物事、社会の仕組みはもっと嫌いで、でも分かり合うとか解決することもできなくて、拒否反応の一貫として怒っていたと思います。
当時の自分からすると、親元を離れて初めて接する「他人」「社会」というものに対して、それしか接する術を持たなかったのだと思います。今思うとそれでも疲れずに数年ずっとやってたんだからすごい。
そんな頃に21歳で観た「インターステラー」で、「Do not go gentle into that good night」という言葉に出会いました。
この一文というよりはこの一文に続く、ディラン・トマスの有名な詩の文言が当時の私にはバイブルでした。
Do not go gentle into that good night,
(穏やかな夜に身を任せるな。)Old age should burn and rave at close of day;
(老いたならば、暮れゆく日に燃え上がり、怒るべきだ。)Rage, rage against the dying of the light.
(消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。)Though wise men at their end know dark is right, Because their words had forked no lightning they Do not go gentle into that good night.
(最期を迎える賢者たちは、暗闇こそが正しいと知っている。彼らの言葉はまだ稲妻を発していないから、彼らは穏やかな夜に身を任せたりはしない。)Good men, the last wave by, crying how bright Their frail deeds might have danced in a green bay, Rage, rage against the dying of the light.
(善人たちは、最後の波と共に、彼らの儚き偉業が緑なす湾でどれほど明るく躍動したかを嘆く。消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。)Wild men who caught and sang the sun in flight, And learn, too late, they grieved it on its way, Do not go gentle into that good night.
(荒ぶる者たちは、逃げ行く太陽を捕まえ歌う。そして学ぶ、遅すぎたと、逃げ行く太陽に悲観するのだ。穏やかな夜に身を任せるな。)Grave men, near death, who see with blinding sight Blind eyes could blaze like meteors and be gay, Rage, rage against the dying of the light.
(死に瀕した者たちは、目が見えずとも、その盲目の目は流星のように輝き、朗らかでいられる。消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。)And you, my father, there on the sad height, Curse, bless, me now with your fierce tears, I pray.
(そしてあなた、悲しみの絶頂にいる私の父よ。私は祈る。あなたの激しい涙で、呪え、祝福しろ、と。)Do not go gentle into that good night.
(穏やかな夜に身を任せるな。)Rage, rage against the dying of the light.
(消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。)
引用:
『インターステラー』より|『穏やかな夜に身を任せるな』原文と和訳/当詩が使用された真意を探る|天沢まもる
現状維持を嫌い、流れに身を任せることをよしとしない。そして怒る。怒る。
怒りを原動力としていた当時の自分にとって、その態度を肯定してくれるこの詩は拠り所であり、行動指針でした。いつしか私はこの一文と、それに続く詩を座右の銘として生きてきたのです。
怒りは武器
そして就職、異動、コロナ突入などを通し、ある意味怒りを「武器」として20代をやってきました。
この仕組みが悪い。競合が憎い。上司に納得がいかない。これは他の人にない強烈なモチベーションであり、実は解決のための原動力だったのです。
怒りの気持ちをストレートにぶつけつつ、企画や仕組みとして改善策を発露することで、仕事も前に前に進めていきました。もはや他人の代わりに「怒ってやってる」と思う節すらあった。
でもストレートに問題を指摘し、言うだけでなくて行動でも示す自分のスタイルは、じゃじゃ馬扱いこそされど同じか、それ以上に称賛もされました。
また、称賛だけでなくアンガーマネジメント、レジリエンスの概念を教えてもらいながら、徐々に適切な場所で怒りの感情を使いこなせるようにトレーニングもしてくれた周囲の方々には感謝です。特に新卒から働いた職場の上司の方々には理解してもらい、ときにアドバイスをもらい、怒りのパワーと自分なりに適切に付き合えるようになったのは20代の自分の驚くべき進展だったと思います。
怒ることそれそのものはいいことか判断がしづらいところですが、私にとって怒りとは最も効率よく感情を表すための手段であり、またそれは多くの変化を自分内外に起こすための重要な触媒でもあったと思います。
死にゆく大地の水平線に人類の滅亡を重ね、それを精一杯拒否し続けることで大きな成功をもたらしたインターステラーの主人公たちと同じようにありたいと、昔も今も思い続けています。
30代、怒ってばかりも時間のムダだと思った。
そしてインターステラーの公開から10年経ち、怒りのパワーとともに30代を迎えた私が率直に思っていることは怒ってる暇があるならさっさとやれです。マジで身も蓋もない。笑
怒りを使って他者とコミュニケーションすることのムダ
スタンド使いが引かれ合うように、怒っている人同士も引かれ合います。
目指す家庭像にズレのある両親、キャリア観の異なる友人、職場に問題意識を持って取り組む人々など。
おかげさまで熱い20代を過ごせたと思います。怒っていることのコンセンサスが取れればそれは議論のゴングなので、たくさんのアイデアが生まれうまく行けば改善に繋がります。実際そのエネルギーでたくさんの物事が解決もしました。
しかし、それらを通して怒りが生むムダにもたくさん出くわしました。
怒る、というのは現代人にとっては並大抵のことではありません。なので怒っている人を見ると、周囲の人はびっくりします。びっくりした上で必要があれば怒りの根源や怒りの方向性を確認し、とにかく落ち着かせるのかそれとも解決すべき問題があるのか確認します。場合によっては飛び火して怒り出す人も出てきます。
私にとってこの、周囲の人が反応し、整理し、対応する作業をすることも、周囲の人に伝える作業も面倒に感じることが多かったのです。怒ることによって初めて分かることや、怒ることによってできるようになる(エネルギーが湧く)ことも多い。でも他人にとって怒りという感情は重すぎるので、受け止めや整理のプロセスを挟まないといけない。*1
自分でも怒り尽くす中で感じたし、何より他の人の怒りを受け止める中で客観視できました、、、笑
怒りを感じるほど嫌な出来事だとしても、背景に合理性が必ずある
そもそも怒りを感じる、というのは割と「自分でもどうしようもないけどどうにかしたい」ときに起きる事象だと考えています。
でもさあ、、、どうしようもないってことは自分のカウンターに100人どうしようもなくてそうしてる人がいるってことなんだよなあ、、、
ジャパニーズポリスメンをバカにする風潮たまにあるけど、ポリスボックス詰め太郎たちでも体重100キロ、柔道2段くらいの生き物を3~4人でモチャモチャにしてわりと簡単に鎮圧するし、怖くても前に出ないと後ろにいる先輩の方が怖いシステム機能してるんで、普通にすごい強いですよ。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2020年4月23日
原付乗ってたときに警察に意地悪な交通ルール取り締まりされてて結構イライラしてたんだけど、これ見てフッと落ち着いた。1つの理不尽(に感じる)の裏には100の理不尽(マジ)があるよなあという。
怒ってるとこの発見をするのに時間がかかります。怒りは主観だから。
なので、怒りで問題を見つけたとして、その背景にあるものを自覚するためには怒りを排除しないと次に行けないと思うようになりました。怒りはメインエンジンになりえるけれども、極めて主観的な行為だと思う。
怒るな働け
そんなふうに思っていくと同時に、10年前立てた座右の銘とは少しずつ離れていくことをうっすら感じてもいました。
「怒りの肯定」は私にとって人生を推進してくれるよいファクターであったと同時に、人生をよりよくしていくためには怒りのパワーだけでも限界を感じてもいました。
そんなときに本当にたまたま、知人の出身大学について調べて出てきたのが「怒るな働け」という言葉です。
そうだった、怒りたいんじゃなくって変えたいんだった。そのために働きたいんだった。
この大学は女性に対する商業教育を旨として創設されている。
その中で下記のように述べてある。
「怒るな」は人間の和、さらには平和を、「働け」は人間社会に欠くことのできない財の生産を意味する世界観、人生観で、世界平和を窮極の目的とした一大金言
平和を大事にしつつ、財になるものを作っていく。
ということで、怒ることを経由しなくとも、こっちのほうがよっぽど効率いいなと思ったのでこちらを座右の銘としたいと思います。
怒るという、自己にフォーカスしたあり方から離れ、イイもの作っていこうという気持ちをストレートに込めました。
体現する難易度はとても上がったとは思いますが、たいへん気に入っています。
奇しくも今週のお題「大人だから」に沿う形で20代を振り返り30代の新抱負を陳情するする形になりましたが、これからも何卒よろしくお願い致します。
今週のお題「大人だから」
余談:成長なのか老いなのか
20代になって建てた座右の銘を30代になって変えたのもあって、この変化をどう受け止めるかについても考えました。
怒りのエネルギーで突っ走ってきたのに、30代になって明示的に否定するのはシンプルに年食ってる人の発言じゃん?と。
結論「成長であって老いではない、なんなら気づくの遅いぐらい」という温度感でいます。20代でしっかり相手の立場に立って考えたり、外野のワーキャーいうの気にせずやってく人なんていっぱいいるので。長い中二病でした。