【いつもは観ないはずなのに、観た】「ウヨンウ弁護士は天才肌」がよかった

韓国ドラマに関しては、ぶっちゃけて言うとかなり食わず嫌いである。

わざわざ隣の国のやつ観るぐらいなら日本のドラマ観るくない?と思ってしまうので。

 

なので愛の不時着が流行ったときも梨泰院クラスが流行ったときも、冬のソナタが流行ったときもチャングムの誓いが流行ったときもまったくみようとしていなかったし、なんならちょっと意識的に遠ざけていた気もする。

髪型をパクセロイカットにしたことはある。

 

 

 

しかしながら初めて韓国ドラマを頭からしっぽまで全部観た。

ウヨンウ弁護士は天才肌」である。

 

 

簡単に言うと
「有名大学を首席卒業するぐらい天才な自閉症スペクトラムの主人公が、新米弁護士になってめっちゃがんばる」
というドラマなのだが、日頃少年ジャンプを隅から隅まで読むときや、大好きな古着を夢中になって目利きしているのと同じような熱量で楽しむことができた。なんでだったのかをちょっと振り返る。

※個人的な感想ブログなので、ネタバレをたくさんします。

 

法律はなまもののメカニズム

なんとなく法律の分野の話ってそんなに面白く感じていなくて、避けて通ってきた節がある。オフィスワークの中で一番お硬い仕事ぐらいの印象ですらあった。

ところがこのドラマを通して法律の扱われ方を知って、「あ、思ったより法律ってクリエイティブで面白いんだな」と思わされた。

弁護やら裁判は、ヒアリングをして、適しそうな法律を漁って、似たような判例を掘り下げて、Wordでたくさん文書を作って論理を作る、、、、というようなお仕事のイメージが強かった。

なのでまあAIに奪われるお仕事ランキングで上位に入るだとか、関わる人がみんなカタブツだとか、そういう感じ方に自然と寄っていくのも無理はない。

 

ところが(もちろんそういうところもあるけれど)、このドラマでの弁護士の仕事ぶりはそれだけにとどまらず、机上にはない多種多様な事象の上に成り立つものだと感じた。

法廷で証人喚問されて、質問がいやなことだったらそりゃ汗もかく。目を背ける。場合によっては手を掻いたりとか、ストレスのサインを示す人もいる。

地域に幹線道路を通すとしたときに、阻害されるのは地域の交通だけではない。景観が大きく変わることがいかに人々の精神性に影響するかも重要である。

主人公をはじめ弁護士の人たちの一団は、そうした人の機微も重要な証拠物として、議論で取り扱う。

 

何も「足を運んでその目で見ろ」とか「事件は会議室で起きてるんじゃない」と言っているのではなくて、そういう曖昧な事象の一つひとつを、「法廷」という会議室でも十分審議可能なレベルまで落とし込んで取り扱うんだ、ということを強く思った。

現場で起こった一つひとつの物事に対してその構造を論理で明らかにしていく作業。

プログラムはコードに書き起こせないものは取り扱えるが、言葉と論理はどんなものでも取り扱えてしまう。

取り扱えてしまうからこそ、それらを構造立てて法律のメカニズムに落とし込む人々はすごいな、と思った。

 

弁護士が全話解説してるブログがあってびっくりした

 

しゃかりきにはたらく天才を、周囲の人はどう支えているのか

そしてその中でも、主人公のウヨンウ弁護士は、眼の前の事象を法律の文脈にどう落とし込んでいくか、ずっと夢中になってやり込んでいる。「しゃかりきになってやっている」という表現がピッタリ合う気がした。

更に彼女は天才である。周囲の人たちの問いかけに、時折ChatGPTのように精緻に判例を出しながら回答をしていくシーンがあるが、彼女の脳内では絶えず、目に入った物事が法律と照らされ解釈され続けている感じがした。

夢中になって答えを量産し続ける天才に対して、周囲の人たちがついていけない、なんてことはよくある。「ダイヤモンドの功罪」はその点をよく描いた作品だと聞いているし(未読だけど)、デスノート夜神月は苦悩した天才で、だからこそ極端な思想にたいていの人がついていけないし出し抜かれるしで、最終的にはLとその後継者とだけ渡り合い続ける(そして最後天才ではない魅上に足を引っ張られて敗ける。)。ソーシャルネットワークもそんな話だった気がする。

 

その分、開花する天才を周囲の人たちが「良いぞもっとやれ」と支え導くドラマには爽快感がある。

alu.jp

ピッチで答えを出したアシトの様子と要求に、口パクで監督が気づくシーン。

覚醒を悟った監督が次のシーンで「行け」と指示する。そもそもアシトを拾ったのは監督だし、急成長したアシトに全員が賭け始めるここからの流れがだいすき。

 

このドラマでは、周囲の人たちがそんなウヨンウ弁護士をみんなが必死に支えてくれる。

ウヨンウ弁護士のミスそのものではなく、どういう背景でその事象がおきたのかを丁寧に聴き込んで、しっかり需要と指導をしてくれる上司弁護士は最高の上司だと思うし、同じ事件を取り扱う同期弁護士も、振り回されながらも解決のためならばと必死に力を貸してくれる。

アシスタントの人の車送迎のシーンも毎回大好きで、彼がいることによってウヨンウ弁護士の考えが整理されていく。最高の聞き手である。

 

天才であることは何よりも本人が掴み取った成果であるが、天才の成果を最大化するのは、そこに集まる人たちの努力もすごく大きい。

そしてそれが噛み合うシーンは、とても爽快感に溢れていて好きなんだと学んだ。

 

生まれの呪いをどう乗り越えるか

これも好きなテーマなんだと思った。

障害があることそのものではなく、両親の置かれた環境や社会環境で、ウヨンウは母親をはじめとする人たちにどんどん苦しめられていく。

そして終盤は異母兄弟も絡んで、母との代理戦争の様子を見せていく。

 

生まれた環境や本人のあり方によって背負った呪いのようなものは、たくさんの人が大なり小なり持っているものだと思う。僕も自分でどうしようもない、生まれつき当たり前に周囲にあるものを乗り越えることができなくて、それを呪いだと思ってたくさん泣いたことがある。し、なんなら今もそうだ。

 

でもその呪いに丁寧に向き合った人にこそ呪いを超えた喜びがあるのだとも思っていて、最後らへんの展開はとてもそれを感じさせてくれるものだったように思う。

自閉症スペクトラムという、国も違ってより扱い方にどこまで言及したらいいかわからない問題だけれど、僕個人はとても晴れやかな気持ちで、このドラマ内で楽しむことができたと思う。

 

 

お隣の国のOLのドラマなのに、少年漫画みを感じることができた

ここまで書いててなんだけど、このドラマに僕は少年漫画みを強く感じていたから好きだった気もする。

法律という武器で日常の現象を説明して、バトルする様子はなんか呪術廻戦っぽかったし、天才の扱われ方はアオアシっぽかった。

生まれの呪いの話はヒロアカっぽかったし、要素を集めるとずいぶん少年漫画らしいラインナップだった気もする。

 

こうやって抽象化して親しいものと似た楽しみかたをできるようになったのは大人になったということなんだろうか?とにかくこのドラマはとてもおもしろかったです。

 

知らないうちに編集部に取り上げてもらっていた!わぁい